私にとって地域を識る ということ

明日ゼミなので(笑),今日は真面目なことを書いてみます。(長文です。それと本文中の写真は話とは関係ありましぇん…)
私が調査に行ったときに,よくおじーおばーから「言い方(言葉)」の指摘を受けました。
沖縄では,シマ(community)が違えば,言葉も違うことがよくあります。同じ「沖縄方言」でも私の知らない言葉はまだまだたくさんあって,調査地ではまだ使われて(私は“生きている”と言うのですが…)いても,都市部ではすでに使われなくなった言葉もあります。

でも,その違いが地域の特性なんですよね。

ある小さな自治体の中に,いくつか集落があります。
集落同士は小さな山や川で区切られていて,今でこそ行き来は車で4〜5分ですが,昔はめったに行き来しなかったそうです。
そんな環境なので同じ自治体(琉球王府時代でいうと“間切り”)なのに,「隣の集落とは物の言い方が異なる」のです。
その自治体の隣り合った3つの集落では,未だにライバル関係があります。
(“ライバル関係”にひっかっかった良ゐ子のみなさんは,仲松弥秀先生などの沖縄の村落社会の本で勉強してくださいねっ!笑)
以下は,私が調査中に聞いた話から。



A集落の人のことを,他の集落の人は「あそこの人はケチだ」と言います。
日常のちょっとした金銭や物品(例えば,夕涼みしているときのビール)などを“ない人”に提供する,ということをしないそうです。


B集落の人のことを,他の集落の人は「あそこの人は頭でっかちだ」と言います。
行動よりも理屈を並べてばかり。何か新しいことをやろうにも,必ず難癖をつけてくる人がいて,スタートがでおくれるとか。


C集落の人のことを,他の集落の人は「あそこの人は怠け者だ」と言います。
つまり,働かずに遊びほうけている人が多い,そうです。



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これらの話は何も「お隣同士いがみ合っている」ということを言いたいわけではありません。

私が何をいおうかとしていると,それぞれの特質をそれぞれの価値観で良い悪い(この場合は,自分たちは良いで,相手は悪いですが…)と言っている例えで,そしてそれぞれの特質は実は,集落の歴史が絡んでいると,私は思うのです。
(以下,は私の独断です。事実を加工している点もありますよっ!笑)


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「A集落の人がケチ」というのには,理由があります。
A集落は集落の区域内に,国のトアル大きな施設があり,そこから莫大な賃借料が入ってきます.その施設がある土地は集落の共有地なので,その賃借料は住民で等しく分け合います。
また,A集落では畑作が住民らの主な仕事です。大きな作業の時には「ユイマール」で労働を(ほぼ等しく)交換します。(ここで言うユイマールは博愛主義的な無条件の助け合いではなく,労働交換です)
そういったことから,A集落の人々の生活には「平等(等しい)」が根付いていて,「誰かが徳をして,誰かは損をする」という作用を避けるのだと思います。
“ちょっとした貸し借り”をイチイチ帳簿につける訳にはいきませんから,「等しくあるために」始めから“ちょっとした貸し借り”をしない。
それが,他の集落の人からみて「ケチ」に思われる訳です。


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「B集落の人は頭でっかち」というのにも,理由があります。
B集落は他の2つの集落と比べて耕作地も,海岸も少ないため生産ができる土地が限られています。限りがあるということは,限りからはみ出る人(大抵,次男三男や女子ら)は他の何かをしなければなりません。そこで,B集落の人々が打ち出した“政策”は「学業の奨励」。勉強ができれば都会にでても仕事に苦労することはない(という時代だったんですね)から,励めよ勇めよ,と地域で支援してきました(学事奨励金というものがあります)。
やがてそれは成果として現れ,B集落出身者の中にはステイタスの高い人も多くなり,また,その人たちが「余生を故郷で」と戻って生活しているのです。
ステイタスの高い人たちは,大抵の人が組織のリーダーなどを担ってたので「組織としてどう動いた方が良いのかを案ずる」ことが身についているはずです。そういう人が小さな集落のコアに一人,二人,といれば,周りの人にも影響を与えるので(良ゐ子は『つながり−社会的ネットワークの驚くべき力』を読んでね・笑),他の集落の人からみて「頭でっかち」に思われる訳です。


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「C集落の人は怠け者が多い」のにも,当然理由があります。
C集落はA集落ほど畑作する土地に恵まれていません。しかし,他の地域に比べて海岸線が緩やかで長く,リーフ(珊瑚礁)も発達しているため,漁業の方が盛んでした。
漁業は,畑作よりも天候に左右される仕事です。風が吹けば船は出せませんし,台風が過ぎ去った後,地上では風が弱まっても海はうねっているので長らく操業できないこともあります。だからといって,彼らは仕事をしないわけではありません。そういう時は自宅で漁具を直したり,網を繕ったりしているのです。
また,定置網漁法が多いので,朝は日が昇るギリギリに海にでて一旦戻り,夜は日が沈むギリギリにでかけて仕掛けるため,日中は食事と休憩(大抵は昼寝)をしているので,いつも家でゴロゴロしているように見えるのです。だから他の集落の人からみると「怠け者」と思われる訳です。


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こうしてみると,それぞれのシマ(community)にそれぞれの生活の歴史があって,それに絡まってシマンチュ(シマの人)の特性が現れているにゃ〜と思いませんか?(こうやってその特性を証拠を用いて裏付け=実証していくのが,私の研究方法の一つでありまする。)

もう一つ。
今回は他の人から見て悪い所を挙げたのは,私たちはやっぱり普段の生活で簡単に人を批判してしまうところがあるからです(例としてはマスコミとかね…。たぶん,心理学的に言うとそれは…どうなんでしょうか?・笑)

でも,私が調査する上でいつも心がけているのは(犯罪性がない限り)簡単に批判しない」ということです。
特に「そのコミュニティで起こっていることは,コミュニティに所属する人に批判する権利はあっても,部外者である私にはない」と言い聞かせています。
なぜならば,コミュニティの価値観は,時と場とコトを共有した人々の暗黙知であることが多く,つい先日来たばかりの(或いは,時々やってくる)私には当然,価値観を持つことが難しいからです。私の価値観=そのコミュニティの価値観とは限らない,という訳です。(批判したあとの責任も取れませんしね〜)
これは当然,人にも言えることで,調査するにしろ,支援するにしろ,「その人(地域)がそうなってしまっている裏には何があるのだろうか?」というのが基本的な姿勢だと思います。
つまり,理解する気持ち,ですよね。




時々,「で,その事についてあなたはどう思うの?」と聞かれるのですが,私は上の理由からどっちつかずの言い方しかできないんですよ〜。なので,もしかしたら「こいつはわかってないなー」と思われているかもしれましぇん。
わかってないのは確かですが,わかろうとはしているので,どうか長い目でおつきあいいただければ,と思います。
(Θ∀Θ)ということで,調査地のみなしゃん引き続きよろしくお願いします!


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